出会うフードすべて食べたがるボーイと、ボルボ240ワゴンに乗りたがるガール

とにかくすべて食べたがる2才男児と、自分の仕事でボルボ240ワゴンを目指す70年代を生きたかった86年うまれの母の生活日記

結局コロナって何だったんだろうか

お久しぶりです、エマです。

 

5類になり、マスク着用も自由化?(という言葉自体謎ですが)され、世の中のマスク率もかなり変わってきて、だいぶ日常を取り戻したように感じます。

 

終わったとは言い難い状況ではあるけれど、なんとなくまぁそんな空気感ではある今、自分にとってコロナとは一体なんだったのか?をまとめておきたいな、と。

 

 

私にとってのコロナは、

子供を育てる中で何を大事にしていきたいのか?の軸をはっきり出来た案件/そして私の親の歪んだ人間性をあらためて浮き彫りにした期間/人間の心理(周囲、自分含め)の観察でした。

 

コロナを通してそれぞれの人間のもつ本質が、浮き彫りになりまくったんじゃないかな、と。

 

コロナ脳目覚めてる側共にずっと不安でいる人/逆意見を持つ人を見下し、敵対することで安心しようとする人/逆の意見を持っている訳ではなくとも日和見的立場で、何も行動はせずただ傍観しようとする人

 

同じ意見を持つ人と群れて、逆サイドを馬鹿にしている人/愚痴る人/戦う人/世の中の流れに乗って無難な事を言っておく人/なんとも思わない人/光を見続けようとする人/世の中がどんなに騒いでいようが乱されず自分の意見で過ごし自分であり続ける人

 

私も色んな状態を経て、進んだり、戻ったり、かと思えば成長していたりしていたように感じます。

 

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コロナを通して1番悲しかったのは、

親が、コロナに対しての危機感が自分と違うからと言って、子育てでしんどくて助けを求めた時も会うことを断られた事だったかも。

赤ちゃん時期の孫に会うことよりも、娘が何度も助けを求めた時も、コロナが怖いからと言って実家への帰省を許してくれなかった。

 

愛ってなんだろう?

ってすごく考えたし、コロナを通してより浮き彫りになった親からの傷によって、私が息子に注いでいきたい愛についても考えた気がします。

 

ちなみに、陰謀論とされていたコロナ論的な話は親へは一切していません。初期の頃、コロナ気にしていない/マスクしてない/緊急事態宣言中も気にせず外出していた(他県含む)位。

 

コロナへの不安に負けてしまう位だったんだなぁ、私が親に求めた「助けて」は。

コロナへの不安に負けてしまう程蔑ろにされてしまうものだったんだなぁ、息子の、もう戻ってこない赤ちゃん時期は。

 

 

マスクをしていない事で、街でも注意されたり、白い目で見られたり(という思い込みだと思いますが)。あの時期、私にとって自分の家庭以外は全て敵でした。外出する時、殆ど周りの人の顔元にピントを合わせないで歩いていた気がする。

 

私は何も悪いことはしていない!

私は私が信じる事をしているだけ!

 

どんなに思い込んでも、街で歩く時は、敵陣を進んでいるような気分だったな、と

振り返ってみると全てに怒り、怯えていたんだと思います。

 

保育園も、マスクをしていないというだけで、なんとなく排他的にされている(ように勝手に感じ)、安心できる場所ではなかった。

 

 

コロナって、何だったんだろう?

結局やはり私も人からの目に不安を感じ、日本を憂い、子供が育つ未来に怯え、恐怖と怒りの中で過ごしていたんだと思います。

 

どんなに、どうにか光を見ようとしていても、すごくストレスだった。どーでもいいから、ただ普通に過ごしていたいだけだったのに、ただでさえ慣れない子育てで脳みそがパニックだったのに、コロナによって息子1〜4才の幼稚園入園までのあの時期は訳がわからなくなっていたと思います。

 

幸い、入園した幼稚園はもうコロナのコの字もない状態で、入園式もノーマスク率9割という快挙…!!ママ友とのランチだとかの際も「マスクしないとまた何かを乱すんだろうか…」等々、面倒な無駄な事を考えなくて良いので、1年遅らせて年中入園にして良かったなと思っています。

 

 

コロナは、何だったんだろう。

 

世の中の、1人1人、全ての人にとって、

コロナっていったい何だったんでしょうか?

 

人間の弱さが、醜さが、冷たさが浮き彫りになり、でも優しさと強さと希望も強調されたような。

 

 

子供たちのマスク問題はまだ続いているし、まだまだマスクの風景継続に足を引っ張っている中高年世代。中高年世代が育ってきた日本が行ってきた教育の怖さ?みたいな物もハッキリと見え過ぎていて問題だとも思う。

 

でも、とりあえず、私の中でコロナは完全に終わった。数ヶ月前にほぼ終わっていたけど、最近、外を歩いていても周りが敵に見えなくなったし、日本に幻滅していない事に気がついたので、ちゃんと完全に終わったみたいです。

 

コロナ時期、外出しても本当に周りにピントを合わせていなかったみたいで、ほぼ終わったな、の頃に街歩きをしていたら人間観察がものすごい楽しかった。あぁ、自分はこんなにも人を見ていなかったんだなとびっくりしました。

5類になってから都内を歩いていたら、あれ何だか結構皆んな楽しそうにしてるな、と、日本捨てたもんじゃないと思えてきました。

 

マスクをしていようが、していまいが、

コロナだろうが、コロナじゃなかろうが、

私はすてきな大人になりたい。

 

ただそう思いました。

 

 

どんな時も私は息子の味方でいたい。

もし自分が不安に押し潰されそうになったら、それを救ってくれる私の光は息子だと思う。

 

コロナは、子育てしていく中での母としての軸の部分の信念を築いてくれました。

 

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かっこいい人間になっていきたいし、

自分はいつか必ずきっと、

かっこいい人間になる人間だと思いながら毎日を過ごしていこうと思います。

 

 

どうか全ての人が自分らしく幸せに笑って過ごせますように。