完全に、目が覚めてからの1ヶ月の話③
日常生活の中ではマスクの人達しか見ない生活、でもTwitter上ではコロナ騒動に疑問を感じて様々な声を上げている方が沢山いました。
沢山の情報を教えてくれる人、
署名活動を立ち上げて実際に動いている人、
街頭デモをしていたり、学校に子供のマスク着用を辞めるよう掛け合っている人。
こんなに沢山の人が色々頑張っているのに、目に見える世界は2020年の1月後半からどんどんと悪くなっていくばかり。
どんどんと政府が打ち出す謎の感染対策を作り出す仕組みに、私もマスクをして生活していた事で加担していたんだなと反省しました。
ただ俯瞰して見ていました。
いつか終わるだろうな、さっさと終わって欲しいな。
息子が3才になって保育園/幼稚園に入るまでには元の日本に戻ってればいいな。
そう楽観的に考えて人目を気にしてマスクをして生活していたら、息子の入園まであと1年になった事に気づき、焦り始めました。
もしかしたら自分の息子も入園によってマスクをさせられるのかもしれないと。
俯瞰し、楽観的に考えている間にも、実際にコロナ対策によって苦しんでいる方々がいた事を考えると無意識なマスク着用によって社会のムードに同調していた自分に後悔します。
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心理学でいう【集合的無意識】というのは、その場にいる全ての人が作り出すムードの様なもの、らしいです。
{ イジメのあるクラスで例えると(本でそういった内容でわかりやすかったので)
⚫︎イジメている子
⚫︎イジメられている子
⚫︎イジメがある事を知っていて、見て見ぬ振りをしている子
そこにいる全ての人の共通意識として、″イジメのあるクラス″というクラスのムード=集合的無意識を作っている }
これってまさにコロナで騒いでいる今の日本(まー世界もか)なんだろうな、と思いました。
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Twitterで様々コロナ情報を提供してくれている/目覚めている庶民さんが載せていたソース。
それ以外にも読んだ本にインフルエンザ死者数とコロナ死者数の比較が載っていたりもしたけれど、これがリアルな数字なのに、加熱する政府の感染対策、それによって被害を受けている飲食店それ以外販売店など諸々沢山、対面授業が出来ない大学生、学校でマスクをさせられる子供たち。
これも、視覚的にパッとわかりやすい【マスク】というアイテムを殆どの日本人が着用することによって
「(存在証明されていない)コロナウィルスと闘う日本」の集合的無意識を作り出し、皆んながマスクしてるってことは、まだまだ!どんどん!そっちのムードにした方がいいよね!と、政府が調子に乗りまくって行なっているのもあるんだろうな、と。
イジメのあるクラスの例えが、ぴったり当てはまるなと思いました。
人の目を気にしてマスクをしていた私は、イジメがある事を知っていて見て見ぬふりをしている子そのものでした。
飲食店への営業時間短縮、夜の街叩き、失業者増加、学生への通常生活弾圧、それらによって引き起こされているであろう自殺者増加。
イジメ、そのものな気がします。
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私も、私がマスク生活からパッと目が覚めるキッカケをくれた駅構内のノーマスクのおじさんの様に、誰かの目を覚ませる様な存在になりたい。
そう思い、マスクが無いと入れないと自分が思い込んでいた(恐らく大多数の人が思い込んでいる)至る所へノーマスクで乗り込もう。
そしてひとまずTwitter上で、マスク着用でコロナ怖い!に向いている日本の集合的無意識を少しでも変えていける様な発言をしていこう、と地味な活動をはじめました。
(以降完全ノーマスク生活)
▪️保育園送迎、支援センター、鉄道博物館、病院(東洋医学系ではあるけど)、調剤薬局、友人と会う出掛ける、その他買い物や外食、交通機関移動など日常生活
▪️Twitterに関しては自身アカウントのフォロワー数を増やしたり、いいねをもらう事にあまり意義を感じていなくて、とにかく不特定多数の人の目に入る事を目標に(矛盾もあるからやっぱりフォロワー数必要なのかな?とも思うけど)。
フォロワー数の多い方にコメントをしまくったりして、1人でも多くの人目に着くのが目的です(力のある方に便乗しまくってます、笑)。
1回、とにかく忖度マスク層の目につこう!と、「コロナ無いかもしれないらしーよ、マスク外したかったら外せばいーよ」のプロフ詳細で不特定多数に足跡残しまくったら、何故かTwitterから3日間の制限をくらった(Twitterが掲げてる違反内容数には全然だったのになー、何故?被害妄想?)
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そんなこんなを考えたり、地味にノーマスク活動をしている中、Twitterで見つけた情報から、県内で行われた免疫学/名誉教授の講演会へ行きました。